いじめの原因はストレス発散とメリットがある点にある。
皆さんはいじめについてどのように考えていますか? 多くの人は、いじめは
良くないからなくなればいいと考えていると思います。
しかし、現状ではどうでしょうか?いじめは一向になくなる気配が無いどころか内容もエスカレートしており、いじめられた側が自殺するケースも残念ながら珍しくなくなってきました。
多くの方はもしかしたらいじめられた経験が無いかもしれませんが、いじめはやられている本人にはとてもつらいものです。
私自身も小学校の頃にいじめられてきました。階段から突き落とされたり、クラスメイトに無視されるなんてのはもはや日常でした。
しかし、あることがきっかけで中学からいじめられることは全くなくなり、別の奴が標的になりました。その時にいじめはなくならないと感じたのです。
そもそもいじめとは
そもそもいじめとはどのような定義なのでしょうか?文部科学省では以下の定義を定めています。
「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」
出典:wikipedia
つまりいじめは、何らかの人間関係(クラスメイト等)がある人物からの物理的あるいは精神的な攻撃でも起こり得るのです。
例えば、集団で殴る蹴るは当然として、メールやLINEなどのやり取りでもいじめの対象になりうるのです。
10年前は、小学生はケータイを持っている方が少なかったから物理的なものが多かったですが、時代と共にいじめも残念ながら変化していくものです。
いじめられた人はどうなるのか
いじめられた人はその後どうなるのでしょうか?過去の経験からだと表に出るのが怖くなりそのまま引きこもりになる人が多いかも知れません
そして、一度いじめられた人は何故か”いじめられ癖”のようなものが体に染みついてしまい転校や進学をした先でもいじめられることが多いです。
私自身も小学校時代は、学校に行けばいじめられるので家に引きこもってゲームばかりしていました。中学に進学しても少しの間はいじめられていました。
しかし、人によってはそのまま退学や引きこもり続けて社会に出られなくなるというケースもありますし最悪の場合には自殺なども実際に起こっています。
いじめられる人の特徴
いじめられている人が一度は思うことが「なんで、何もしていないのに自分がいじめられるのだろう・・・」ということだと思います。私も思いました。
しかし、この考えがそもそもの間違いなのです。むしろ何もしていないからいじめられるのです。
いじめられる人の特徴としては以下のようなものが挙げられると思います。
・いじめられているのに抵抗しない
・体や精神が弱い
・自分に対して自身がない
・自分のコンプレックスを気にしすぎる
・猫背で寡黙
共通している点としては、自分の事を表に出せない人や自分自身を変化させようとする努力が見えない人は基本的にいじめられるケースが多いですね。
周りの人が守ってくれると考えている人は、恐らく一生いじめられ続けるでしょう。そのような考えだと自分自身は何も変わってないので、相手に抵抗する能力が身についていないのです。
いじめは自分に害がないから成立するのであって、いじめる側としては少しでも「こいつはめんどくさいな・・」と感じれば標的を変えるものなのです。
なんで人はいじめを行うのか
では、そもそもなんでいじめは行われるのでしょうか?
いじめる側は何を考えているのでしょうか?その答えの一つとして、いじめる側は周りからのプレッシャーによるストレス発散にいじめを行うというものがあると思います。
いじめる人に多いパターンとしては、親のしつけが異常に厳しい場合や周りの評価が高い人などが嫉妬心からいじめを行うことがあります。
つまり、自分はこんなにも周りから厳しくしつけられているのに”あいつは自由にできてうらやましい”という感情であったり、”こんなに努力しているのにあいつは何も努力をしていない”が妬ましいしうらやましくもあるのです。
しかし、自分で周りに反発することも出来ないので結果的に自分より弱いものをいじめて優越感に浸るのです。
いじめは、一種の親や社会に対しての間違った抵抗なのです。基本的には、自由を求めての暴走族やハンガーストライキなどと本質は同じなのです。
ただいじめのたちが悪いのは、その行為を大きな変化が無いとやめられない点です。
一度いじめ始めると優越感をずっと味わいと思う面ともしやめた場合には、今度は自分がいじめられると考える恐怖心から環境の変化が無い限りやめられないのです。
なぜいじめられるのか
ではなぜいじめられるのでしょうか?それはいじめられている人が”うらやましがられている”か ”変化をする努力をしていない”からです。
いじめる側の目的は、自分の有意性を確立することと優越感を味わうことです。
この2つを達成するためには、自分より弱い相手を見つけて上から抑え続けるしかないのです。
だからこそ相手に求める条件としては、”自分よりも弱い存在であり続ける事”が必須なのです。
いじめられる側は相手に抵抗をしようとする姿勢がやはり足りないのです。その姿勢は相手にも見透かされていじめる側からすれば攻撃してこないので安全なのです。
しかし、これもいじめられる側からすると当然であり、もし反抗すればさらにいじめられるので恐ろしくて何もできないというのが現状なのです。
自分がいじめられないようにするには ①強くなる
では、いじめられないようにするには具体的にどのようにすればいいのでしょうか?
最も簡単な方法としては、自分が物理的に強くなることです。つまり体を鍛えたり口論で相手を打ち負かすことが最も有効です。
私もこの方法で乗り切りました。体を鍛えたりすると精神的にも強くなるのです。始めは、いじめられていても徐々に自分に自信が湧くようになり、相手に反抗できるようになります。
自分が最も得意なものを磨き続けるということも有効な手段の一つです。例えば、勉強が得意ならばその能力を磨き他の人に教えるなどして自分の能力をアピールするのが効果的です。
アピールが無い場合は、自分の努力が相手に見えないので、まわりとしても「能力がない使えないやつ」と周りから認識されいじめが放置されるのです。だからこそ自分は”こんな能力があって絶えず磨いてるぞ!”という自己アピールが重要なのです。
するとどうなるのか? いじめられる条件は”自分より弱い存在であり続ける事”であるため自然といじめられなくなります。そして能力が評価された場合には、周りにみかたが出来るので、いじめられにくくなるのです。
自分がいじめられないようにするには ②逃げる
もしも今の環境は耐えられない! 別の環境でやり直したいと考える場合には素直にその場から逃げるという選択肢もアリです。
もちろん逃げ続けていてはいつまでも成長しないのでどこかのタイミングで自分を変える努力をする必要はありますが、その環境では自分を変えることはできないと感じたのならば逃げるのがいいです。
人間は環境によって大きく変わります。もし移った先で自分が変えられるならばそれでいいのです。無理にその場で変える努力をする必要もないのです。
最終的にいじめられないようになればいいのですから
自分がいじめられないようにするには ③助けを求める
自分を変えると言ってもどうすればよいかわからない、そんなことできないと思う人もいると思います。
その場合には、素直に周りの方に相談してみましょう。確かにそれが原因でさらにいじめられることもあるかもしれません
しかし、そのまま何もしないと確実にいじめ続けられます。重要なのは相手を倒すぐらいの気持ちが重要なのです。
それは、一人で努力するには意外に難しいものなのです。いじめられる人は、助けを求めることが下手なのです。
結局は自分の問題なので、自分で解決する必要があるのです。しかし、他人の力を借りてはいけないわけではないのです。
ドラえもんはいじめを考えるのに最適な教材
ドラえもんでは、のび太は道具の力のみでジャイアンに立ち向かおうとしている主人公であるのび太が同級生のジャイアンにいじめられてドラえもんに助けを求めるところから話が始まります。
ドラえもんにのび太は道具をもらって何とか問題を解決しようとしています。しかしながら道具の力だけでジャイアンに立ち向かっているため、結局のところのび太自身は何の能力も身についていないので、再びいじめられるのです。
ジャイアン視点は、普段自宅で母親に厳しいしつけを受けていてそこで溜まったフラストレーションをのび太に対してぶつけているのです。
そんな中で、のび太は自分の力ではなく偶然手に入れたドラえもんの”道具”に頼ってこちらに反抗してくるわけです。早い話が反則技なのです。
ジャイアンから見れば、何も努力をしていないのび太がいきなり自分ではどうしようもできない理不尽な力を手に入れるわけです。
頑張っている自分が報われず、ダメなのび太が救われるという構図が出来上がるのです。
そうなるとジャイアンは余計にフラストレーションが溜まるので、いじめはループするわけです。
2:6:2の法則 傍観者が助けてくれない理由
私は、小学生のころ実際にいじめられていましたが、同級生は誰一人助けてくれませんでした。しかし、今考えればそれも当然かなと思います。
その理由は単純で、自分がいじめの標的になりたくないだけです。そしていじめをなくすよりも一定数残す方が組織や社会はうまく回り出すのです。
これは、出来る人、普通の人、出来ない人で一定の人数がいると2:6:2でわかれるからなのです。
どういう事かというと、大体どこの社会も出来る人とできない人が2割ずつぐらいいて残りの6割の普通の人で構成されているという事です。
これは、いじめにおいても当てはまります。いじめているのは少数で大体は傍観者です。これはどんな物にも当てはまるでしょう。
傍観者は、いじめられている人を助けようとはしません。なぜならそんな余裕はないからです。傍観者はその位置を落とされてないように必死なのです。
自分たちがいじめられたくはないですし、そのやり取りに関わらなければ自分の好きなことやスキルを磨けるのですから人の心配などしていられないのです。
そして傍観者はよほどのことが無い限りはいじめられないでしょう。それは、”どうやったら攻撃されるか”を見て学んでいるため 自分の好きなように動けるのです。いじめに関わらなければ、自由に過ごせるのですから何もしないのは当然と言えるでしょう。
昔は、”いじめを見ていた人も同罪だ!”という事も言われていましたが、今となっては、自分が自由に過ごすためのスケープゴートをわざわざ失ってまで助けるヒーローなんていないわけです。仮に存在したとしてもどうせ頼られて面倒ごとに巻き込まれるのが関の山なのでただただ傍観しているのです。
だからこそ、他人の介入なんてもに期待などしてはいけないのです。結局は自分の力が足りないだけなのですから自分で何とかするしかないのです。
結語
結局のところいじめというものはその構造上なくなることは無いでしょう。
いじめている側としては、自身の優位性の確立・優越感を得る行為であると同時に自身のフラストレーションを発散する方法の一つとして
傍観者側は、自分が自由に動くためのスケープゴートとしてまた反面教師として
いじめられている側は、自分自身を変化させて相手に立ち向かう勇気や努力を与えられるきっかけの一つとして
それぞれのポジションに対して意味があるため、いじめというものは社会からなくならないのです。人間が生きている限り存在し続けるでしょう。
だからこそいじめられている人は、周りの助けを過信しすぎてはいけないのです。「周りが助けてくれるから大丈夫」という考えでは一生いじめられるでしょう。
今一度自分を見つめなおして、怖いかもしれませんが、自分自身を大きく変化させる必要があります。そしてその変化を止めないことです。
自分が変わり続ければ、いじめはいつか自然となくなっているものです。そしてもしもいじめから脱出できた場合には、いじめられている人に対してヒントを与えてあげてください。手を貸してしまったらあなたに依存してしまうので・・
まとめ
・いじめは構造上ある方が便利だからなくならない
・結局自分を変えないと何も変わらない勇気を持って努力し続ける事
・傍観者は基本助けてくれないと思った方がいい
・いじめられている人には、手を貸すよりヒントを与える
・他力本願は無限ループのもと